浅生憲章
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浅生 憲章(あさい のりあき、業界内では、あさい けんしょうという愛称があった、1946年6月[1] - 2003年8月13日)は、元TBS経営企画局兼TBSテレビ編成局局長、C-TBS代表取締役社長。東京大学卒業。
人物
同大学出身の先輩久世光彦と共に、主に向田邦子作品を手がけたドラマ制作のプロデューサーである。たびたび、向田邦子の著作物の中に登場するTBSの若いディレクターとは、彼のことである。久世光彦にモノを申して出世をしたのは、彼だけであり、局内のみならず業界内では『異端児』扱いであった。また、ドラマだけでなく、音楽番組も制作しており、いかなる作品においても、独自のこだわりを貫き通す制作者であった。
演出・プロデュース作品
- 時間ですよ 昭和元年(1974年)
- 寺内貫太郎一家シリーズ
- 悪魔のようなあいつ(1975年)[2]
- 光る崖(1977年)
- うさぎ飛ぶ海(1977年) ※第32回(1977年度)文化庁芸術祭参加作品
- 七人の刑事シリーズ
- オレンジ色の愛たち(1979年)
- 幸福(1980年)[2]
- 隣りの女 現代西鶴物語(1981年) ※第36回(1981年度)文化庁芸術祭優秀賞受賞作品
- 雪の華 建礼門院徳子の生涯(1982年)
- 淋しいのはお前だけじゃない(1982年)[2]
- 胸さわぐ苺たち(1983年)
- セーラー服通り(1986年)
- 痛快!OL通り(1986年)
- 第28回日本レコード大賞(1986年)
- ベスト・フレンド 「人間交差点」より(1987年)
- モナリザたちの冒険(1987年)
- 痛快!ロックンロール通り(1988年)
- 先生のお気に入り(1991年)
- ルージュの伝言(1991年) ※TBS深夜ドラマ
- 眠れない夜をかぞえて(1992年)
- ジャイアンツ!! プロ野球がやって来る(1993年)
- スチュワーデスの恋人(1994年)
- 私は貝になりたい(1994年) ※第43回日本民間放送連盟賞ドラマ番組部門優秀、第21回放送文化基金賞ドラマ番組部門奨励賞、第34回日本テレビ技術協会賞(照明)受賞作品
- 冠婚葬祭部長(1996年)
- メロディ(1997年)[1]
脚注
注釈
出典
- ^ a b “浅生憲章のプロフィール”. KADOKAWA. 2024年2月7日閲覧。
- ^ a b c “TBS系金曜22時00分「金曜ドラマ」第1期”. テレビドラマデータベース. テレビ朝日. 2024年2月7日閲覧。
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