津田一朗とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 津田一朗の意味・解説 

津田一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/17 10:14 UTC 版)

津田 一朗(つだ いちろう、1926年大正15年)7月10日[1] - 2001年平成13年)4月17日[1])は、日本政治家1973年から1989年までの4期16年にわたり大阪府羽曳野市長を務めた。

経歴

大阪府生まれ。大阪商船(現・商船三井)に在職していた1949年日本共産党に入党する。このため、当時日本にも吹き荒れていたレッドパージの対象者となり、退職を余儀なくされるが、紙芝居屋などを経て1955年に高鷲町(現・羽曳野市)議会議員となる。

1973年、折からの革新自治体ブームに乗り、羽曳野市長選に「乱脈不公正な同和行政の是正」を訴え、日本共産党などの推薦を得て立候補、当選を果たして西日本初の同党員市長となる。その後、1989年まで4期連続(うち4期目は無投票当選)で市長に在任するが、5期目を目指した同年の市長選において、自民党公明党などの推す福谷剛蔵に敗れる。

なお、2009年8月現在、共産党員市長で4期連続当選したのは、津田と矢野裕東京都狛江市長の2名のみである。また在任中1度だけ、昭和天皇の「快癒祈願」の「記帳」に行くという、憲法の国民主権原則から外れた重大な誤り(自身の主張による)を犯し、自己批判を行った。

著書

  • 『共産党員市長でえらいすんまへん―津田一朗と羽曳野革新市政の過去・現在・未来』(かたおかしろうとの共著、1986年12月、清風堂書店)

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、290頁。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「津田一朗」の関連用語

津田一朗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



津田一朗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの津田一朗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS