泉福寺_(板橋区)とは? わかりやすく解説

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泉福寺 (板橋区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 06:30 UTC 版)

泉福寺
所在地 東京都板橋区赤塚6-39-7[1]
位置 北緯35度46分44.4秒 東経139度38分44.4秒 / 北緯35.779000度 東経139.645667度 / 35.779000; 139.645667 (泉福寺 (板橋区))座標: 北緯35度46分44.4秒 東経139度38分44.4秒 / 北緯35.779000度 東経139.645667度 / 35.779000; 139.645667 (泉福寺 (板橋区))
山号 崇福山[2]
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王[2]
創建年 不詳
中興年 大正11年(1922年
中興 純享和尚
札所等 豊島八十八ヶ所霊場23番札所
文化財 泉福寺十一面観音立像(板橋区指定有形文化財)[1]
法人番号 1011405000509
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泉福寺(せんぷくじ)は、東京都板橋区にある真言宗智山派寺院

概要

創建年代は不明である。ただ松月院の大堂にある1340年暦応3年)鋳造の梵鐘(国重要美術品)に「泉福寺」の名があることから、室町時代初頭には既に存在していたものと推測される[3]

長らく寺運衰微の時期が続き、住職不在の時期が多かったため、その後の歴代住職の名などは不明になっている[3]。ただ「明治五年新義真言宗本末一派寺院明細帳」には、1872年明治5年)時点の住職が第47世の「英尊」となっており、明治初期までの歴代住職は47人であることが判明している[4]

1922年大正11年)の純享和尚が着任し、ようやく寺の体制が充実してきた。そのことから当寺では純享和尚を「中興第一世」としている[3]

寺宝等

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 板橋区公式ホームページ.
  2. ^ a b 新編武蔵風土記稿 下赤塚村.
  3. ^ a b c 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、159-161p
  4. ^ 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、196p

参考文献

  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
  • 「下赤塚村 泉福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ14豊島郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/54 
  • 泉福寺のご案内”. 板橋区公式ホームページ (2020年1月25日). 2020年11月3日閲覧。

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