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泉漾太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 20:30 UTC 版)

泉 漾太郎(いずみ ようたろう、1908年1月5日-1996年10月23日[1])は、日本の詩人・作家。栃木県文化協会会長を務めた[2]

略歴

和泉屋旅館(2020年閉館[3]

栃木県塩原温泉郷の一つである福渡温泉の旅館・和泉屋の後継ぎとして生まれ、のち14代目主人となる。本名・田代太平[4]

大田原中学(現栃木県立大田原高等学校)在学中に、全国中学生文芸コンクールに応募したところ、1位入選となり、そのときの審査委員長が野口雨情だった縁から、生涯雨情に師事して詩を書いた[4]

竹久夢二とは親友であり、山岡荘八は義兄弟の仲であった[5]。旅館には、山岡が命名した『竜胆(りんどう)の間』という部屋もあった[5]。旅館に逗留した新鷹会の時代小説作家たちとも交わった[6]。のち小説も書く。

著書

  • 『夢を追ふ 民謡集』真砂社出版部 1928
  • 『旅情 泉漾太郎民謡集』詩人界社 1940
  • 『農村うたものがたり』新小説社 1943
  • 『盂蘭盆夜話』新小説社 1955
  • 『こんばんは 民謡集』中央公論事業出版 1978
  • 『下野民謡物語』丸ノ内出版 1979
  • 『野口雨情回想 雨情精神と童心教育』筑波書林(ふるさと文庫) 1980
  • 『いろは紅葉 名妓塩原高尾太夫伝』講談社出版サービスセンター 1991
  • 『花妖殺生石 九尾狐後日譚』講談社出版サービスセンター、1993

校歌作詞

脚注

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 塩原温泉の和泉屋旅館破産 - ウェイバックマシン(2012年8月26日アーカイブ分)『下野新聞』
  3. ^ (株)和泉屋(栃木)/旅館・ホテル”. データ・マックス (2020年4月9日). 2022年4月29日閲覧。
  4. ^ a b 野口雨情と泉漾太郎 塩原もの語り館で企画展 師弟関係のエピソードも紹介」『産経新聞』2018年9月20日。2023年11月1日閲覧。
  5. ^ a b 【いらっしゃいませ!】和泉屋旅館(栃木県・塩原温泉)田代芳寛さん」『観光経済新聞』2017年4月8日。2025年2月21日閲覧。
  6. ^ 和泉屋旅館
  7. ^ 第54回★宇都宮市立岡本北小学校★”. 宇都宮プライド 愉快なラジオ. RADIO BERRY (2014年10月10日). 2023年10月24日閲覧。
  8. ^ ホーム - さくら市立氏家小学校”. schit.net. 2022年7月27日閲覧。


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