河野西入坊とは? わかりやすく解説

河野西入坊

読み方:カワノサイニュウボウ(kawanosainyuubou)

別名 蓮如

宗派 真宗大谷派

所在 岐阜県各務原市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

河野西入坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 21:38 UTC 版)

河野西入坊
所在地 岐阜県各務原市下中屋町2丁目117-1
位置 北緯35度22分49.32秒 東経136度50分5.02秒 / 北緯35.3803667度 東経136.8347278度 / 35.3803667; 136.8347278
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
開基 行園
中興年 文明2年(1470年
中興 蓮如
別称 蓮如さま
文化財 蓮如上人寿像(市文化財)
法人番号 9200005002442
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河野西入坊(かわのさいにゅうぼう)は、岐阜県各務原市にある真宗大谷派寺院である。

概要

同派岐阜教区第三に所属する。

地元の人々には「蓮如さま」(れんにょさま)の愛称で親しまれている。河野西入坊に伝わる「蓮如上人寿像」は各務原市の有形文化財に指定されている[1]。また上人の杖にしていた銀杏の木が根付いたといわれる樹高30m以上、幹周り4m以上、樹齢500年を越すといわれる「西入坊境内大銀杏」は各務原市の天然記念物に指定されている[1]

河野九門徒の寺院の一つである。

沿革

平安時代
長徳2年(996年)、順智坊により天台宗の寺院として河野に創建。その後この寺院は荒廃する。
鎌倉時代
嘉禎元年(1235年)、行園が親鸞の説法に聞き入り入信して弟子となる。他の同士とともに河野(尾張国葉栗郡木瀬(現在の岐阜県羽島郡岐南町三宅))にあった天台宗の寺院跡に草庵を建てる。
室町時代
木曽川の洪水により草庵が荒廃。文明2年(1470年)、この地を訪れた本願寺の蓮如上人はその現状を憂い、当時の住職行念らが草庵を再興。新加納(現在の各務原市那加新加納町)に移転し「河野御坊」と名づける。
江戸時代
現在地に移転する。尚、この際、一部の堂宇は美濃国羽栗郡竹ヶ鼻村(現在の羽島市)に移転する(竹鼻別院)。

その他

毎年4月の第4土、日曜日は「蓮如さま祭り」が行なわれる。当日は参道や境内に多くの屋台出て、多くの参拝者で賑わう。

所在地

交通アクセス

バス
自動車

出典

  1. ^ a b 市指定文化財”. 各務原市. 2013年5月15日閲覧。

関連項目




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