江坂徳蔵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 江坂徳蔵の意味・解説 

江坂徳蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/11 12:57 UTC 版)

江坂徳蔵
えさか とくぞう
生年月日 1885年10月4日
出生地 日本 新潟県中頸城郡高田町
(現・新潟県上越市
没年月日 (1964-08-14) 1964年8月14日(78歳没)
出身校 海軍機関学校卒業
前職 海軍機関少佐

在任期間 1936年7月4日 - 1938年8月27日
テンプレートを表示

江坂 徳蔵(えさか とくぞう、1885年明治18年〉10月4日[1] - 1964年昭和39年〉8月14日[2])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍機関少将新潟県高田市長

経歴

新潟県中頸城郡高田町(のち高田市、現・上越市)生まれ[1]。旧制高田中学(現・新潟県立高田高等学校)卒業後、海軍機関学校に入り、1911年(明治44年)卒業する(16期)[1]。戦艦「山城」機関長などを歴任し[3]1927年(昭和2年)、海軍機関大佐に進級、第3戦隊、練習艦隊、第2艦隊、連合艦隊の各機関長を務め[3]1933年(昭和8年)海軍機関少将に進級[2]、燃料廠平壌鉱業部長に就任し[2]1936年(昭和11年)3月、予備役となった[2]。同年7月4日、郷里の高田市長に就任した[4]。市長在任中は市のガスを石炭ガスから天然ガスに切り替えた[5]。一方、議会に対し、速記録印刷廃止を提案、議員の反発を受けた[5]1938年(昭和13年)8月27日、「一身上の都合」により、市長を辞職[6][7]。その後は実業界に転じた[1]。戦後、公職追放となり[8]、1964年(昭和39年)に死去した。墓所は多磨霊園

家族

脚注

  1. ^ a b c d 『高田市史』第2巻 366頁
  2. ^ a b c d 『日本海軍将官辞典』71頁
  3. ^ a b The page31. (ヒト-海機16期)
  4. ^ 高田市史 第2巻 30コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 『高田市史』第2巻 367頁
  6. ^ 『高田市史』第2巻 372頁
  7. ^ 高田市史 第2巻 30コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、7頁。NDLJP:1276156 
  9. ^ 江坂徳蔵歴史が眠る多磨霊園
  10. ^ 黒田定治『人事興信録』2版(明41.6刊)

参考文献

  • 『高田市史』第2巻 高田市史編集委員会/編 高田市 1958年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「江坂徳蔵」の関連用語

江坂徳蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



江坂徳蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの江坂徳蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS