江口榛一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 06:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動江口 榛一(えぐち しんいち、1914年3月24日 - 1979年4月18日)は、詩人、社会運動家。
生涯
大分県中津市耶馬溪町山移に生まれる[1]。本名・新一。1937年明治大学専門部文科(文芸科)卒[2]。
戦後、聖書の啓示を受けて、赤坂書店で働きながら戦時の反省をもとに詩作を行う[2][3]。雑誌『素直』の編集長を経て、1949年に「未練」(『文藝時代』1949年3月号)で第21回芥川龍之介賞候補、1954年に「近所合壁」(『新潮』1954年5月号)で第31回芥川龍之介賞候補[1]。
共産党に加入したこともある[2]。1955年には受洗するが、既成の教会にあきたらず、個人の実践を重視して1957年に地の塩の箱運動を起こす[2][3]。
三里塚芝山連合空港反対同盟代表の戸村一作の弟と親交があり成田空港問題での流血の事態に心を痛めていた江口は、友納武人千葉県知事と戸村代表の間を取り持ち、1967年11月27日に両者の会談を実現する。このとき江口は「ベトナム平和・沖縄の即時返還・成田空港の円満解決・地の塩運動」を掲げて断食を行っており、その激励に戸村が上京する機会を利用してのものだった[4]。
資金難となり、それを苦にし、1979年に首吊り自殺した[2]。
著書
- あかつきの星 広島図書 1950 (銀の鈴文庫 伝記創作篇)
- しっぽのゆくえ ローマ字教育會 1951.10
- 背徳者 悩める魂の告白 実業之日本社 1957
- 荒野への招待 詩集 昭森社 1959
- 地の塩の箱 くろしお出版 1959
- 故山雪 歌集 世界文庫 1960
- 地の塩の箱 ある幸福論 新潮社 1974
- 江口榛一著作集 全4巻 江口木綿子編 武蔵野書房 1992.5
脚注
参考
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- 新潮日本人名辞典
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