汝の道をすすめ、そして人びとをして語るにまかせよとは? わかりやすく解説

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汝の道をすすめ、そして人びとをして語るにまかせよ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/12 03:06 UTC 版)

汝の道をすすめ、そして人びとをして語るにまかせよ(なんじのみちをすすめ、そしてひとびとをしてかたるにまかせよ)は、中世哲学からの言葉。

概要

イタリア哲学者であるダンテ・アリギエーリによる言葉[1]。他人というものは無責任にあれこれと口を出すものなのであり、それを参考にするのは良いのだが、あまり気にしすぎると正しい選択や判断ができなくなるということである[2]。この言葉はダンテの神曲で述べられている言葉であった[3]

カール・マルクス資本論の初版の結びでは、偏見と俗論への回答としてこの言葉が用いられていた。マルクス、エンゲルスは、ダンテの神曲を文化史上の作品として愛読していた[3]。マルクスが資本主義搾取矛盾を覆い隠す楽観主義へのアンチテーゼを唱えて、科学的分析の必要性を唱えていたことには多くの批判があったのだが、この格言の引用とは自らの理論への自負が込められていると考えられる[4]

吉本隆明は、資本論の序文にこの言葉が引用されていたことについて、ここに資本論というマルクスの経済学批判の出発点があるとしている。もちろんこの格言には、それを引用しているマルクスの理論としての性格は少しも有していないとする。マルクスの唯物弁証法という方法論は不動の確信に貫かれていたのであるが、マルクスがそれをたどる忍耐を惜しんだならば、この格言は空虚な放言に過ぎなくなるとのこと。マルクスのあらゆる真性の思想の根底には、常に理論の形式を取らないこのような勇躍の表象を見出すことができるとのこと。小林秀雄は、マルクスが2千ページを超える書物を書くにあたって、ダンテのこの格言に終わる4ページで事は足りたとした。経済学の方法というのは自明なことであり、方法論の正しさは内容のみが明かしたとのこと[5]

脚注




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