永瀬狂三とは? わかりやすく解説

永瀬狂三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 09:41 UTC 版)

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永瀬狂三
生誕 1877年(明治20年)10月23日
愛知県田原市
死没 (1955-01-21) 1955年1月21日(77歳没)
国籍 日本
出身校 東京帝国大学建築学科
職業 建築家
所属 下田築造合資会社→辰野片岡建築事務所→京都帝国大学営繕課→京都工学校
建築物 京都大学諸施設

永瀬 狂三(ながせ きょうぞう、1877年10月23日 - 1955年1月21日)は、大正昭和戦前期に京都市を中心に活動した建築家。京都帝国大学の営繕に在籍していたことから、京都大学に多くの作品を残している。

生涯

1877年(明治10年)、現在の愛知県田原市に生まれる[1]。祖父は田原藩国元家老の鈴木弥太夫で、父・永瀬誉の代から永瀬姓を名乗った[1]。「狂三」の名前は、『論語』子路篇の「不得中行而与之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不為也(中行を得てこれに与せずんば、必ずや狂狷か、狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり)」に由来している[2]

1906年(明治39年)10月、東京帝国大学建築学科を卒業。下田菊太郎の事務所を経て、辰野・片岡設計事務所で働く。1909年(明治42年)3月に京都帝国大学建築部に入り、山本治兵衛の下で大学施設の建築を手がけた。

1919年(大正8年)10月、在任中に死去した山本の跡を継ぎ、建築部長となる(組織改編により1920年営繕課長)。以後、1929年(昭和4年)1月に退職するまでの10年間、京都帝国大学の営繕組織を率い、拡大を続ける大学施設の建設を手がけた。大学外では、福井県敦賀市の大和田銀行本店(現・敦賀市立博物館)などを設計している。

かたわら、京都帝国大学工学部、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)講師として、後進の指導にあたった。京都帝国大学営繕課長退職後の1935年には、京都工学校校長となり、1945年までその職にあった。

1955年(昭和30年)死去(77歳)。

略年譜

  • 1877年(明治10年) - 愛知県田原市に生まれる。
  • 1906年(明治39年) - 10月、東京帝国大学建築学科を卒業、横浜市の下田築造合資会社(下田菊太郎)に入所。
  • 1908年(明治41年) - 辰野・片岡設計事務所に入所。
  • 1909年(明治42年) - 3月、京都帝国大学建築部嘱託となる。
  • 1917年(大正 6年) - 京都帝国大学工学部講師となる。
  • 1919年(大正 8年) - 10月、京都帝国大学建築部長。12月、組織改組により建築課長。
  • 1920年(大正 9年)
  • 1929年(昭和 4年) - 1月、京都帝国大学を退職する
  • 1935年(昭和10年) - 京都工学校校長となる(~1945年)
  • 1955年(昭和30年) - 逝去

主な作品

建造物名 所在地 状態 備考
/京都大学学生集会所 1912年(明治45年) 26京都市左京区 現存せず
/旧京都帝国大学寄宿舎
(現・京都大学吉田寮現棟)
1913年(大正2年) 26京都市左京区 山本治兵衛と共同設計
/京都大学文学部陳列館 1914年(大正3年) 26京都市左京区 登録有形文化財 山本治兵衛と共同設計
/京都大学旧生理学教室研究室
(現・京都大学医学部推進センター)
1914年(大正3年) 26京都市左京区
/京都大学農学部附属農場園芸実験室 1924年(大正13年) 26京都市 現存せず
/京都大学理学部附属地球物理学研究所 1924年(大正13年) 44大分県別府市 登録有形文化財
/京都大学本部本館 1925年(大正14年) 26京都市左京区 武田五一坂静雄と共同設計
/旧大和田銀行本店
(現・ 敦賀市立博物館)
1927年(昭和2年) 18福井県敦賀市 福井県指定有形文化財
/崋山文庫 1934年(昭和9年) 23愛知県田原市 [2]

脚注

  1. ^ a b 「幻の建築家 永瀬狂三(1)」、『広報たはら』平成17年11月号、p.24
  2. ^ a b 「幻の建築家 永瀬狂三(2)」、『広報たはら』平成17年12月号、p.30

参考文献

  • 日本建築学会編『新版 日本近代建築総覧』(技報堂出版、1983年) ISBN 476552003X
  • 石田潤一郎『関西の近代建築』(中央公論美術出版、1996年) ISBN 4805508264
  • アトリエM5・宮本和義『近代建築散歩 京都・大阪・神戸編』(小学館、2007年)ISBN 4093876967
  • 『広報たはら』平成17年11月号・12月号(田原市)
  • 『建築と社会』第36輯第2号(日本建築学会、1955年)
  • 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史 総説編』(京都大学後援会、1998年)

関連項目

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