毛利登人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 毛利登人の意味・解説 

毛利登人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 16:34 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
毛利 登人
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 文政4年7月6日1821年8月3日
死没 元治元年12月19日1865年1月16日
別名 :貞武、武、号:主静庵、斤田
墓所 東光寺
幕府 江戸幕府
長州藩
氏族 吉敷毛利家
父母 父:毛利虎十郎
テンプレートを表示

毛利 登人(もうり のぼる)は、幕末期の長州藩士。貞武甲子殉難十一烈士 の1人。

生涯

吉敷毛利家の末家、毛利虎十郎(大組600石)の嫡男として誕生。長州藩主毛利敬親の世子、毛利定広(後の元徳)の小姓として在京し、勤王の志士との交流を深め、大きな影響を受けた。

文久3年(1864年)の馬関戦争では宍戸刑部こと高杉晋作とともに、毛利出雲と称して四国連合艦隊との停戦の副使となったが、その直後の同年秋の第1次長州征伐の後に俗論派が藩論を主導するようになると、前田孫右衛門大和弥八郎らと共に謹慎処分を受け、蟄居した。12月には野山獄に投じられ、山田亦介松島剛蔵前田孫右衛門大和国之助、楢崎弥八郎、渡辺内蔵太らと処刑された。

辞世の歌は「皇の 道しるき世を ねかふかな わが身はこけの したにくつとも」。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「毛利登人」の関連用語

毛利登人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



毛利登人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの毛利登人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS