武州鉄道計画の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:13 UTC 版)
「武州鉄道汚職事件」の記事における「武州鉄道計画の概要」の解説
埼玉県には1924年(大正13年)から1938年(昭和13年)まで武州鉄道を名乗る鉄道事業者が存在したが、本事件での武州鉄道は大東亜戦争(太平洋戦争)後に計画された鉄道であり、その武州鉄道とは全く関連がない。 進駐軍の廃品転売で財をなし、吉祥寺名店会館というショッピングセンターの経営もしていた滝嶋総一郎が、武蔵野市などの沿線市町村長や平沼弥太郎埼玉銀行頭取等の財界などに声をかけ、1958年(昭和33年)12月に発起人総会が開催され、翌1959年(昭和34年)1月14日、地方鉄道法(現在の鉄道事業法の前身)に基づく免許を申請した。 計画された路線 吉祥寺(武蔵野市)‐三鷹(三鷹市) - 小金井(小金井市) - 鷹の台(北多摩郡小平町) - 大和(北多摩郡大和町) - 村山 (北多摩郡村山町) - 箱根ヶ崎(西多摩郡瑞穂町) - 東青梅(青梅市) - 名郷(入間郡名栗村) - 根古谷(秩父郡横瀬村) - 御花畑(秩父市)間、60.3 km。
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