正法寺 (長野市)とは? わかりやすく解説

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正法寺 (長野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 03:39 UTC 版)

正法寺
所在地 長野県長野市中条日下野1874
位置 北緯36度37分46.3秒 東経138度03分00.9秒 / 北緯36.629528度 東経138.050250度 / 36.629528; 138.050250座標: 北緯36度37分46.3秒 東経138度03分00.9秒 / 北緯36.629528度 東経138.050250度 / 36.629528; 138.050250
山号 歓喜山
宗旨 真言宗豊山派
本尊 聖観音菩薩
創建年 大同年間
開基 坂上田村麻呂
中興年 明徳4年(1393年)
中興 尊海
札所等 信濃三十三観音霊場第30番
法人番号 6100005000995
正法寺
正法寺 (長野県)
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正法寺(しょうぼうじ)は、長野県長野市にある真言宗豊山派の寺院。山号は歓喜山。信濃三十三観音霊場第30番札所。

概要

寺伝では、大同年間に坂上田村麻呂が東征の折に、当地に堂宇を建立し、のちに行基が聖観音菩薩を安置したと伝えられる。治承・寿永の乱では源義仲が祈願寺として200貫文を納め、南北朝時代には北条時行が太刀を奉納した。明徳4年(1393年)、尊海和尚により中興され、その後は荒廃したが、正徳年間に真田氏によって再興され、幟が奉納された。江戸時代には度々火災に遭遇し、現在の本堂は明治14年(1881年)、大悲殿は昭和60年(1985年)に再築された。

仁王門の奥に本堂があり、左に庫裡、右に大悲殿がある。大悲殿には本尊の木造聖観音菩薩立像と、脇侍として木造四天王立像2躯、脇立執金剛神像、弘法大師像があり、本堂には前立観音がある。長野県宝の聖観音菩薩、四天王ともに平安時代中期の作とされている。

参考文献

  • 『探訪 信州の古寺 天台宗・真言宗』1996年 郷土出版社
  • 『信濃三十三番観音札所巡拝案内』2002年 そうび出版



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