榛沢氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/16 13:13 UTC 版)
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| 榛沢氏 | |
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| 本姓 | 多治比氏 |
| 家祖 | 新里成房 |
| 種別 | 武家 |
| 出身地 | 武蔵国 |
| 主な根拠地 | 武蔵国 |
| 著名な人物 | 榛沢成房 榛沢成清 |
| 凡例 / Category:日本の氏族 | |
宣化天皇の曾孫の多治比古王(たじひこのおおきみ)を祖とする多治比氏の流れで 丹党の新里成房(にっさとなりふさ)を始祖とする武家である。平安時代末から鎌倉時代にかけて栄えた。源平合戦で平家方だったが後に鎌倉幕府の源頼朝の傘下に入る。奥州合戦では功を立てたが、成清の代の1205年に北条時政に滅ぼされた。
概要
榛沢氏の祖先は、第28代宣化天皇の曾孫とされる多治比氏の流れを汲み、武蔵国で丹党を結成した。
本拠地は武蔵国であるが、丹党の有力な一族である新里成房が、現在の埼玉県深谷市榛沢の地に移り、その地名を採って「榛沢」と名乗ったのが始まりである。武蔵七党のうち丹党に属し、同族の武士団として連携しながら勢力を拡大した。
歴史
- 平安時代末期・源平合戦
- 鎌倉時代およびこの時期の著名な人物
- 終焉とその後 - 成清死により、榛沢氏は武士団としての勢力を失い、歴史の表舞台から姿を消した。しかし、 その名や血筋は地域に残ったと考えられ、現在も埼玉県深谷市には「榛沢」の地名が残っている。
参考文献
- 榛沢氏のページへのリンク