極右政党からの脱皮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:26 UTC 版)
「国民同盟 (イタリア)」の記事における「極右政党からの脱皮」の解説
党首はジャンフランコ・フィーニであった。 前身はイタリア社会運動という、ベニート・ムッソリーニの支持者によって結成されたネオ・ファシスト政党だったが、フィーニにより党名変更、政策を穏健化して極右政党から中道右派の保守政党への脱皮を図った。極端な勢力が中道穏健化することは極左の代表だった旧イタリア共産党もそうだったようにイタリアの政治では歓迎されており、この党穏健化路線は国民から評価され、フォルツァ・イタリアに次ぐ右派連合の勢力へと成長した。 ムッソリーニの孫娘であるアレッサンドラ・ムッソリーニがかつて所属していたが、フィーニ党首がイスラエルを訪問した際に、ムッソリーニ政権が人種法を制定してユダヤ人迫害を行ったことを謝罪、祖父ベニートの否定を意味する穏健化路線に反発し、離党している。
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