椋梨氏とは? わかりやすく解説

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椋梨氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 05:19 UTC 版)

椋梨氏の居城であった椋梨城址(2010年撮影)

椋梨氏(むくなしし、むくなしうじ)は、日本氏族鎌倉幕府の功臣・土肥実平の後裔、小早川氏の一族である。

安芸国椋梨氏

桓武平氏平良文の流れを汲む。相模国土肥郷を発祥とする土肥氏の一族で、土肥実平の子孫、安芸国小早川氏初代・小早川茂平の弟・小早川季平が沼田新庄に分知され、その嫡子の国平が安芸国椋梨郷一帯(現在の広島県三原市)を領して本拠とし、地名を取って名字を椋梨としたことに始まる。ちなみに小早川景平の実父は平賀義信であったとされ、途中から源氏の一族となった。

その後の椋梨氏は一貫して小早川氏に従い、重臣として活動した。小早川隆景の沼田小早川家入りに積極的に貢献して、後に筆頭家老となった椋梨弘平や、その子の椋梨景良が知られている。毛利氏と小早川氏の主要な作戦に加わり、筑前国立花山城の攻防戦でも小早川軍の主力として活躍した。1597年小早川隆景が死去すると、養嗣子の小早川秀秋を離れて、毛利氏の家臣となった。

江戸時代には萩藩寄組士に一家、遠近付士に一家、他に長府藩や永代家老福原氏の家臣として藩政に貢献した。幕末の俗論党の巨頭で長州藩重臣・椋梨藤太景治は椋梨氏の末裔である。

系譜 

太字は当主。実線は実子、点線は養子。
土肥実平
 
 
 
遠平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
維平小早川景平[1]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
茂平季平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
草井氏
草井季泰
[椋梨氏]
椋梨国平
 
 
 
定平
 
 
 
宗平
 
 
 
光平
 
 
 
泰平
 
 
 
直平
 
 
 
忠平
 
 
 
公平
 
 
 
光平
 
 
 
盛平
 
 
 
弘平
 
 
 
景良
 
 
 
就頼
 
 
 
就次
 
 
 
(略)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[分家]
景治(藤太)
 
 
 
[長州藩寄組]中井栄次郎
  1. ^ 平賀義信の5男。



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