梶常吉とは? わかりやすく解説

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かじ‐つねきち〔かぢ‐〕【梶常吉】

読み方:かじつねきち

[1803〜1883]江戸末期明治初期七宝工芸家尾張の人。オランダ七宝研究して尾張七宝創始近代七宝の祖と称される


梶常吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/11 14:35 UTC 版)

梶 常吉(かじ つねきち、1803年享和3年)- 1883年明治16年)9月20日)は、幕末から明治時代の陶芸家である[1][2]。本名は加治(読み同じ)[1]。近代七宝焼の祖として知られる[2]

経歴・人物

尾張藩士の加地市右衛門の次男として生まれる[3][4]。後に名古屋服部にて庄屋だった恒川家の養子となり[1][4]鍍金業の経営に携わった[1][4]。その後は七宝の研究に携わり、その頃に偶然オランダ(一説に清国)から送られてきた標本を元に1832年天保3年)に七宝の製法を取得し[1][4]、近代七宝焼への道を作る[1][4]。この技法は「尾張七宝」と呼ばれた[5]

しかし常吉の作風は形及び文様はオランダを元にした洋式より[1][4]、一説だった清国を元にした中華式を元にした七宝焼を製作したものであり[4]、後にその作風は濤川惣助並河靖之に伝えられた[3][4]。その後は尾張藩の命により七宝焼の制作に携わり[1][4]1850年嘉永3年)には当時藩主だった徳川慶勝や当時将軍だった徳川家慶の一族に献上する事にも携わった[3][4]。後に門下として林庄五郎や塚本貝助らが輩出し[4]、また常吉の孫だった梶佐太郎にも祖父の作風を元に陶芸の制作に携わった[4]。これによって遠島七宝となった事により[4]七宝村(現在の七宝町)という自治体が創設された[3]

栄典

  • 銀杯 - 1883年受賞、病床の中で受賞となり同年に死去した。

主な作品

  • 香炉 - 正明寺蔵、常吉が制作したと推定されている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 梶常吉”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月10日閲覧。
  2. ^ a b 梶常吉”. 精選版 日本国語大辞典 株式会社DIGITALIO. 2023年2月10日閲覧。
  3. ^ a b c d 梶常吉”. 百科事典マイペディア(平凡社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 梶常吉”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)株式会社DIGITALIO. 2023年2月10日閲覧。
  5. ^ 梶常吉”. デジタル大辞泉(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月10日閲覧。

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