桜谷軽便鉄道の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:16 UTC 版)
オーナーの持元 節夫(もちもと せつお)は仲間と共に半導体関連の会社を共同経営していた。退職後の1990年代半ば、大阪で偶然本物の鉄道用レールを扱う会社を発見し、6kgレール1本(5m半ほど)約7千円と廉価であったことに驚き、購入したことから桜谷軽便鉄道の歴史が始まった。当初は観賞用に設置したが、その後線路を伸ばし、手押しトロッコやバッテリー駆動車を製作して走らせた。初期の頃は現在のように多くの人が乗って楽しむというものではなく、トロッコをビール瓶の持ち運びに使うなど、自宅内での実用にも供していた。設備が充実するにつれ、見物客が増え、近隣住民の目を気にせざるを得なくなった、(15インチ車両とは別の市販品の)蒸気機関車の煙が近所迷惑になるなどの理由で後述の南山線への移転に至った。
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