桜井文七
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 10:29 UTC 版)
初代桜井文七は実在人物である。天和3年(1683年)美濃国(岐阜県)に生まれ、元禄年間に信濃国(長野県)飯田に流れてきた紙漉き職人で、水に強く引っ張っても切れない紙紐の製造に成功し、文七元結の名で全国で有名になった、その後江戸で活躍し、宝暦3年(1753年)飯田に戻り、同地の長昌寺に葬られた。江戸で有名な元結屋で、代々「文七」を襲名されていたため圓朝がモデルにしたと伝わる。2010年(平成22年)に長昌寺で奉納落語が行われた。
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