桓石虔
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桓 石虔(かん せきけん、生年不詳 - 太元14年6月19日[1](389年7月28日))は、東晋の軍人。小字は鎮悪。譙国竜亢県の人。東晋の征西大将軍桓豁の子。並外れた武勇をもって、数多くの戦いで活躍した。
- ^ 『晋書』巻9, 孝武帝紀 太元十四年六月壬寅条による。
- ^ 『晋書』孝武帝紀では、鎮遠将軍と記されている。
- ^ 『晋書』桓石虔伝では、梁成と記されている。
- ^ a b 『晋書』孝武帝紀では、襄陽郡太守と記されている。
- ^ 『晋書』桓石虔伝では、梁成と閻振が竟陵に侵攻したと記されている。
- ^ 『晋書』桓石虔伝では、梁成が軽騎で襄陽に敗走したと記されている。
- ^ 『晋書』苻堅載記では、閻振と呉仲は斬られたと記されている。
- ^ 『十六国春秋』前秦録では、桓石民が拠ったと記されている。
- ^ 『晋陽秋』では、太元13年(388年)正月戊辰に亡くなったと記されている。
- ^ a b c d 『晋書』巻74, 桓石虔伝
- ^ 『晋書』巻79, 謝安伝
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