桃源郷との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 21:18 UTC 版)
陶淵明によって書かれた桃花源記の桃源郷に登場する武陵の漁師は長江の支流の一つである沅水(げんすい)をさかのぼったと考えられているが、里耶秦簡によれば秦人も河口部である洞庭湖から沅水をさかのぼり、途中から酉水(ゆうすい)をさかのぼって上流に遷陵県(せんりょうけん)を築いたとある。(おおまかではあるが三国志の蜀の都である成都と武陵との間に位置しているとみられる)。 里耶秦簡が出るまでは秦の統治が中原から離れた山岳地帯の辺境まで届いている可能性が低いというのが通説だったようだが、この文書が出てきたことで秦の始皇帝の統治を嫌って山奥に隠れ住んでいたという桃源郷伝説も歴史的な裏付けを元に書かれたということが明らかになった。
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