柴田家の祖先追慕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 15:00 UTC 版)
詳細は「柴田勝重#柴田勝家兜埋納伝承」を参照 柴田家は、柴田勝家の子孫とされる家である。勝家の孫(柴田勝政の子)にあたるという柴田勝重は徳川家に仕え、大坂の陣で武功を挙げて武蔵国仙川郷(現在の東京都調布市・三鷹市付近)に新たな所領を与えられており、当地の春清寺(現在の東京都三鷹市新川)に葬られた。なお、柴田家の領地は元禄年間、勝重の孫・勝門の代に三河国額田郡本宿村(現在の岡崎市本宿町)に移されている。 天明5年(1785年)、勝房は春清寺に勝家の位牌を新たに作って奉納し、併せて勝家・勝政・勝重三代の事績について書き記した文書も納めた。この文書の中で、勝重が勝家の兜を祀ったのが勝淵神社(三鷹市新川)の起こりであると記しており、これが「勝淵神社で柴田勝家の兜を祀っている」ことを記した初見史料となっている。寛政8年(1796年)に春清寺に建てられた石碑「柴田家家碑」にもこれと同様の文言が含まれている。勝房の先祖追慕の活動を経て、柴田勝家の兜をめぐる伝承が江戸時代中期に当地に根付いていったと考えられる。
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