柴孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/31 03:28 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 柴孫 |
本社所在地 | ![]() 〒103-0005 東京都中央区日本橋久松町9-5 |
設立 | 1921年 |
業種 | 小売業・サービス業 |
事業内容 | 呉服問屋 |
代表者 | 松井厚憲(代表取締役社長) |
資本金 | 2,500万円 |
従業員数 | 6名(2024年5月現在) |
外部リンク | https://shibamago.jp/ |
株式会社柴孫(しばまご、英称:Shibamago Co., Ltd.)は東京都中央区日本橋久松町にある呉服問屋。
概要
1921年に東京で創業した呉服問屋である。白生地問屋から始まり、現在は総合呉服問屋業を営む。
初代社長である柴田孫七郎[1]は滋賀県長浜で絹織物(浜縮緬)の生産・販売を行う「山正織物」を経営する西川千太郎の三男として誕生。
初代・柴田孫七郎が丸太柴田商店(絹織物問屋・現マルシバ 前身会社)の長浜本店、東京支店に勤務後、独立して「山正」の屋号で創業した。
柴田孫七郎について
1896年、滋賀県長浜において絹織物(浜縮緬)の生産並びに販売を行う「山正織物」を経営する西川千太郎の三男として誕生。
生誕後、同業の10代目柴田源七[2]と父・千太郎の約により、柴田源七一族の柴田孫助家(浅井長政の旧臣・垣見家より養子となり、柴田姓に)の長男となる。
柴田源七が経営する「丸太柴田商店(絹織物問屋・現在のマルシバの前身会社)」[3]の長浜本店、東京支店に勤務後、「山正」の屋号で独立。1921年に「柴孫」(白生地問屋)を創業したのち、生家の山正は2代目千太郎が家業を退き、次兄の豊太郎も長浜市議会の仕事に移ったため、奇しくも、三男孫七郎が山正の商売を引き継ぐ。
柴孫の商号は、初代柴田孫七郎の名から取っており、その孫七郎の名は初代の運命をかたどった「孫助・源七・千太郎」から一文字づつ頂戴し名付けらた。
1970年黄綬褒章を叙勲。[4]1974年勲五等瑞宝章を叙勲。
1974年没。
沿革
- 元禄時代 - 初代柴田源七生誕、蚕種取引に関わる。[5]
- 1783年(天明3年) - 彦根藩の長浜ちりめん織元及び年貢縮緬中継ぎ業をはじめる。
- 安政年間 - 縮緬問屋・織屋として江戸に開業(丸太柴田)[6]
- 1921年(大正10年) - 初代柴田孫七郎が山正・柴孫を創業[7]
- 1970年 - 初代柴田孫七郎、黄綬褒章を叙勲[8]
- 1974年 - 初代柴田孫七郎、勲五等瑞宝章を叙勲[9]
- 2024年 - 5代目柴田孫七郎が社長就任
脚注
- ^ 小倉榮一郎『近江商人の経営』サンブライト出版、1988年。ISBN 978-4-7832-0104-5 。
- ^ “柴田源七 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2025年1月25日閲覧。
- ^ “長浜市史のご案内 / 長浜市史をひもといて / さくら道と柴田源七”. www.city.nagahama.lg.jp. 2025年1月25日閲覧。
- ^ 『中央区年表: 昭和時代』東京都中央区立京橋図書館、1972年 。
- ^ “株式会社マルシバ”. 株式会社マルシバ. 2024年12月19日閲覧。
- ^ “長浜市史のご案内 / 長浜市史をひもといて / 糸の世紀・織りの文化シリーズ3「浜縮緬・その2」”. www.city.nagahama.lg.jp. 2025年1月25日閲覧。
- ^ 『日本纎維商社銘監, 1970』東京信用交換所、1969年 。
- ^ “柴田家について”. 柴孫 ホームページ. 2024年12月19日閲覧。
- ^ Japan『官報』太政官文書局、1974年3月 。
外部リンク
- 柴孫 会社ウェブサイト(公式サイト)
- 柴孫のページへのリンク