柳沢時附とは? わかりやすく解説

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柳沢時附

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 02:35 UTC 版)

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柳沢時附
時代 江戸時代中期
生誕 不明
死没 寛保1年10月13日1741年11月20日
改名 時附、遊澤(号)
別名 信尚、熊之助、弥一郎、源七郎(通称
戒名 幽澤
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 山高氏、柳沢氏
父母 山高信吉、柳沢安忠
柳沢時憲
兄弟 信尹時附
伴政継娘
柳沢安弘室、安弘
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柳沢 時附(やなぎさわ ときます)は、江戸時代中期の旗本通称は信尚、熊之助、弥一郎、源七郎。

旗本山高信吉の四男。母は柳沢安忠の娘。柳沢時憲の養子。号は遊澤。妻は伴政継の娘。

時附にも男子がいなかったため、致仕後に娘婿の安弘が家督を継いだ。

年表

※日付は旧暦

  • 元禄3年(1690年)6月2日 - 桐間番の番士となる
  • 元禄3年(1690年)8月14日 - 小納戸となる
  • 元禄3年(1690年)12月10日 - 小納戸を免職になり小普請となる
  • 元禄7年(1694年)閏5月9日 - 大番の番士となる
  • 元禄11年(1698年)7月18日 - 家督を相続する
  • 元禄15年(1702年)9月2日 - 新番の番士となる
  • 宝永5年(1708年)9月15日 - 新番組頭となる。のち西丸勤めとなる
  • 享保16年(1731年)10月15日 - 船手頭となる
  • 享保16年(1731年)12月23日 - 布衣の着用を許される(六位相当となる)
  • 元文5年(1740年)3月14日 - 船手頭を辞職し寄合となる。その際に時服3領を拝領する
  • 元文5年(1740年)12月30日 - 致仕。養子の安弘が家督を継ぐ
  • 寛保1年(1741年)10月13日 - 死去。月桂寺に葬られる。法名は幽澤

参考文献




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