松浦董子
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松浦 董子(まつら ただこ[1] / しげこ[2]、1908年(明治41年)7月12日[1] - 1989年(平成元年)1月22日[1][3])は、日本の旧華族。父は旧平戸藩第12代藩主松浦詮伯爵の次男で分家の松浦靖(まつら はかる)子爵、陸軍中佐で大正天皇の侍従を務めた人物[1][2]。母は久我通久侯爵の次女・節子(さだこ)[1][2]。戦後凋落しながらも自尊心を守り続けたことで知られ、その生き方は死とともにマスコミで大きく取りあげられた[2]。
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』下巻、656頁。
- ^ a b c d 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』12頁。
- ^ a b c 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』26頁。
- ^ a b c 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』13頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』14頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』16-17頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』17頁。
- ^ a b c 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』18頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』18-19頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』19-20頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』20-21頁。
- ^ a b 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』21頁。
- ^ 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』28頁。
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