松村と糸洲のナイファンチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 10:38 UTC 版)
「ナイファンチ」の記事における「松村と糸洲のナイファンチ」の解説
松村宗棍と糸洲安恒の両方に師事した本部朝基によると、両人の間では、ナイファンチに相違があったとされる。特に松村のナイファンチについては、本部の解説が唯一のものであり貴重であるので、以下に引用する。 「ナイファンチの型で、松村先生と糸洲先生と異なっているところがある。ナイファンチの中で、足を膝のところまで内側へあげて元の位置へ踏み下ろすところがある。あそこのところで両先生の流儀が異なっているのだ。 松村先生の流儀は、踏みおろすときに、足を軽く平らに足裏を地上におろすのだが、糸洲先生の流儀は、足のおろし方を力を入れて重く、足裏を平らに下ろさず斜めにおろす気持ちで、強く踏みおろす。これは右足のときも左足のときも同じことである。 次に手を胸の前面に突き出すところも両先生のやり方が異なっていた。一つの拳を側面に寄せてとり、他の拳を胸部前面に横に突き出す型が右にも左にもある。あそこのところの拳の突き出し方が異なっていた。 松村先生の流儀は拳を斜め前に突き出すので、肘がほとんど伸びている。しかし糸洲先生の流儀は拳を平行するように突き出すので肘のところで角に曲げている。これは左手のときも、右手のときも、共に同じである。」 『空手研究』より。原文は旧字体、旧仮名遣い。
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