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松平親賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 05:31 UTC 版)

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松平 親賢
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦3年6月10日1753年7月10日
死没 享和2年9月28日1802年10月24日
改名 民之助(幼名)→親賢
墓所 大分県杵築市南杵築南台西の養徳寺
官位 従五位下、駿河
幕府 江戸幕府
豊後国杵築藩
氏族 能見松平家
父母 父:松平親盈、母:永井直陳の娘
兄弟 親貞親賢、親宝、親安、親清、親長、清子(牧野康陛正室)、佐竹義祇継室、木下利彪正室、小笠原長禎正室、松平勝政正室、最上義明正室
養子:親明
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松平 親賢(まつだいら ちかかた)は、豊後杵築藩の第7代藩主。能見松平家13代

略伝

第5代藩主・松平親盈の次男。天明5年(1785年)5月23日、先代藩主で兄の親貞が隠居したため、その養嗣子となって跡を継いだ。天明6年(1786年)から大学者として知られる三浦梅園三顧の礼をもって家臣に迎え、行き詰まった藩政を再建するための藩政改革を行なった。寛政11年(1799年)、幕府の命により湯島聖堂再建費用として4858両を献金した。享和2年(1802年)9月28日、50歳で死去した。跡を甥で養嗣子の親明が継いだ。




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