松平時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 07:18 UTC 版)
元禄13年(1700年)、出羽国山形藩の松平忠雅が10万石で入封することになった。これは元禄検地で査定された旧福山藩領の15万石から5万石分(小田郡・後月郡・神石郡・甲奴郡・安那郡の一部)の領地を削ったもので、実質的には水野時代より7割弱の石高でしかなく、他国の表高10万石と比べて少なめであった。削減分の領地は引き続き幕府領とされ、神石郡・甲奴郡・安那郡は「上下陣屋」(広島県府中市)が、小田郡・後月郡は笠岡陣屋(岡山県笠岡市)が置かれた。忠雅は受領から9年後の宝永6年(1709年)に福山に入るが、わずか1年後の宝永7年(1710年)に再び伊勢国桑名藩に転封となった。
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