松倉嵐蘭
<らんらん>
松倉盛教。蕉門最古参の門人。江戸浅草在住。三百石取りの武士だったが、44歳で官を辞し、俳諧専一の生活に入った。老荘思想の持ち主で、芭蕉は彼と意気投合した。また、そのことで芭蕉も嵐蘭には一目おいていたらしい。元禄6年47歳の若さで急逝。嵐蘭急死の報に応えた弟嵐竹への書簡がある。「秋風に折れて悲しき桑の杖」「見しやその七日は墓の三日の月」の句は芭蕉が嵐蘭の死を悲しんで詠んだ挽歌。
嵐蘭の代表作
しら芥子にはかなや蝶の鼠いろ(『あら野』)
百舌鳥のゐる野中の杭よ十月(『猿蓑』)
青くさき匂もゆかしけしの花(『猿蓑』)
子やなかん其子の母も蚊の喰ン(『猿蓑』)
白雨や蓮一枚の捨あたま(『猿蓑』)
水無月や朝めしくはぬ夕すゞみ(『猿蓑』)
笑にも泣にもにざる木槿かな(『猿蓑』)
あやまりてぎゞうおさゆる鱅哉(『猿蓑』)
夢さつて又一匂に宵の梅(『猿蓑』)
はつ市や雪に漕来る若菜船(『猿蓑』)
道灌や花はその代を嵐哉(『猿蓑』)
春雨やあらしも果ず戸のひづみ(『猿蓑』)
夕がほや裸でおきて夜半過(『續猿蓑』)
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