東洋堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/01 06:16 UTC 版)
「美原通り (桐生市)」の記事における「東洋堀」の解説
1887年(明治20年)、現在の織姫町に日本織物会社が設立された。絹綿交織の繻子を一貫工程で製造していた日本織物は、渡良瀬川からの引水による発電所を有していた。1902年(明治35年)、日本織物会社は解散となり、その後は、桐生織物会社、日本製布、東洋織布、富士紡績桐生工場と変遷した。発電所水路は「東洋掘」と呼ばれ、水路の両脇に杉並木があり、市民の憩いの場となっていたが、美原通りの開通によって東洋掘は姿を消し、杉並木も片側のみとなり、厚生病院の新築後は、わずかな区間に残る杉並木と発電所跡が、大工場があった当時の面影を伝えている。
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