東方書道会の創立
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戊辰書道会の創立から僅か2年後の昭和5年(1930年)6月、日本書道作振会と戊申書道会が統合して新団体泰東書道院が結成され、苞竹は第1回展の審査員になった。 昭和7年(1932年)1月1日、書家7人が伊勢神宮に参拝し神前に泰東書道院を分断して新しい書道会の創立の誓いを立てた。東京から吉田苞竹・松本芳翠・高塚竹堂、中部から佐分移山・長谷川流石、関西から辻本史邑・黒木拝石の7人である。のちに川村驥山・服部畊石・柳田泰雲・篠原泰嶺が加わり昭和7年(1932年)4月、東方書道会を結成し苞竹は役員(董事)・審査員をつとめた。
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