東国御家人との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:25 UTC 版)
本流とされる摂津の渡辺氏は摂津源氏の源頼政一族の配下にあったが、肥前の松浦党は平家の家人であり、源平合戦においては当初、平家方の水軍であった。しかし、壇ノ浦の戦いでは源家方につき、源家方の勝利に大きく貢献したことから、その功により、鎌倉幕府の西国御家人となり、また九州北部の地頭職に任じられる。しかしながら同じ環境にあった秋月氏や蒲池氏、菊池氏などと同じく、元平家家人の九州御家人を信頼していない源頼朝が送り込んだ少弐氏・島津氏・大友氏などの「下り衆」の下に置かれる。 特に13世紀の元寇の時には佐志氏や山代氏をはじめ活躍したことで知られ、肥前国松浦郡で蒙古軍と戦った佐志房と三人の息子の直・留・勇は揃って戦死し、松浦党数百人が討たれ、あるいは生け捕りにされ、松浦は壱岐や対馬同様に蒙古軍に蹂躙されたという。
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