李聖学とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李聖学の意味・解説 

李聖学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 09:06 UTC 版)

李 聖学(イ・ソンハク、朝鮮語: 이성학/李聖學1906年10月14日 - 1980年10月22日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国公務員政治家人権活動家民主化運動家制憲韓国国会議員[1]

経歴

全羅南道海南郡出身。全州高等普通学校卒(4年修了)、中央神学校卒。海南郡庁・海南面事務所勤務を経て、海南郡錦江水利組合書記を務めた。光復後は大韓独立促成国民会海南郡支部総務部長、大韓独立促成労農総連盟海南郡支部委員長、大韓独立促成青年連盟海南郡支部委員長、韓国民族代表大会代議員、大同青年団海南郡団長、制憲国会議員、国会外務国防委員会委員、木浦永興中学校校長、貞明女子中学校校長を務めた。国会議員在任中は地方自治法重改正法律案を提案し、国連総会韓国代表宛に感謝決議文起草委員長を務めた。また、キリスト教徒としても活動し、海南教会長老和順教会伝道師、光州楊林教会長老、光州YMCA総務を務めた[2][1][3][4]

1978年に光州NCC人権委員長を務め、反維新活動と人権活動を行い、拘束された民衆・学生たちのために裁判所・検察・警察署を奔走し、助命活動を展開した。1980年の5・18光州民主化運動の時は指導部に参加し、軍事政権に抵抗したため、指名手配を受けた[2]。同年10月22日、光州基督病院で老衰により死去。享年75。葬地は5・18国立墓地[5]

エピソード

1949年10月24日、国会フラクション事件により逮捕された議員たちの釈放提案に対し、反共の立場から反対意見を述べた[6]

脚注

  1. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年6月2日閲覧。
  2. ^ a b 손동유, “이성학 (李聖學)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0075965 2025年6月3日閲覧。 
  3. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年6月3日閲覧。
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年6月3日閲覧。
  5. ^ 이성학씨 별세” (朝鮮語). 중앙일보 (1980年10月23日). 2025年6月3日閲覧。
  6. ^ 國會昨日再開(국회작일재개)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1949年10月25日). 2025年6月3日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  李聖学のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李聖学」の関連用語

李聖学のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李聖学のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李聖学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS