李周衡とは? わかりやすく解説

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李周衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 16:21 UTC 版)

李 周衡(イ・ジュヒョン、朝鮮語: 이주형1905年[1]または1906年1月6日 - 1951年8月)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国教育者政治家制憲韓国国会議員。

経歴

慶尚南道密陽郡出身。徽文高等普通学校(現・徽文高等学校)、京城帝国大学予科・法文学部史学科卒。普成中学校教員、木浦高等女学校校長、馬山中学校校長、密陽中学校校長を経て、私立正進学校を経営したが、戦中に廃校された。光復後は慶尚南道米軍政顧問、独促国民会密陽郡支部長、過政立法議院議員、密陽中学校創設者・校長、国会議員を務めた。朝鮮戦争の際北朝鮮拉致された[2][1]

1962年4月28日の東亜日報の連載によると、1951年6月の原因不明の伝染病にかかった後、同年8月下旬ごろに平壌付近で死去した[3]

脚注

  1. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月17日閲覧。
  2. ^ 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年4月17日閲覧。
  3. ^ [동아일보]납북인사 북한생활기 - 죽음의 세월 27회 1962. 4. 25 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org (2006年12月14日). 2025年4月17日閲覧。



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