李咸池とは? わかりやすく解説

李咸池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 06:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

李 咸池(り かんち、Li Xianchi、? ‐ 1853年)は、末の小刀会の反乱の指導者の一人。

福建省漳州府龍渓県出身。上海で綿花の行商をしていた。上海では劉麗川とともに小刀会を発展させた。小刀会内部では劉麗川が広東系のリーダーで、李咸池が福建系のリーダーとみられていた。1853年8月、小刀会が蜂起して、県令の袁祖徳を殺害して上海を支配下に置き、劉麗川が「統理政教招討大元帥」、李咸池が「平胡大都督」となった。蜂起軍は周辺の宝山南匯川沙庁を次々と占領した。さらに太平天国との連携を模索したが、鎮江から上海までは清軍がいて、援助は望めそうもなかった。李咸池は劉麗川に「現在、黄徳美黄威(黄位)ら福建の小刀会は廈門を占領している。ここは福建小刀会と連携すべきである」と述べ、廈門に赴くことになった。しかし廈門は清軍に包囲されており、上海への援助は不可能であった。李咸池は廈門の防衛に参加したが、10月に陥落し、故郷の龍渓に逃れたところを捕らえられ、処刑された。

参考文献

  • 羅爾綱『太平天国史』、中華書局




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李咸池」の関連用語

李咸池のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李咸池のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李咸池 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS