本妙寺事件と特別病室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 01:20 UTC 版)
「本妙寺 (熊本市)」も参照 1940年7月9日、本妙寺事件で一斉収容した患者のうち、患者互助組織「相愛更生会」関係者は草津に運ばれ、成人男性17名は重監房に入れられた。9名は57日監禁されたが、夏であったので命を落としたものはなかった。本妙寺のある熊本市花園町の住民から、園長当て嘆願書が出され(9月3日),9月11日出獄となったので、その効果があったと、『風雪の紋』にある。 会長の中村利登治はその後自治会役員投票で最高票をとるほど人望があった。彼は後菊池恵楓園に再入所したが、逃走、行方不明となる[要出典]。
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