本坂通往来の増加と減少
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:35 UTC 版)
近世に本坂越の往来が再び盛んになった契機は、永正年間(1504年-1520年)に浜名湖南岸に今切口ができ、東海道を船で渡らなければならないためという。旅人は遠江国側では東海道の安間村から本坂峠へ向かうようになり、市野村は市場として繁盛し、宿場が整備されて本陣や問屋が建ち、道幅が拡げられ、松並木が造られた。今切の渡しが確立されると、東海道に人が戻り、浜松宿が繁栄、対照的に市野宿は衰退し、交通量も減少していった。
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