木村庄太郎 (13代)とは? わかりやすく解説

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木村庄太郎 (13代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 19:39 UTC 版)

13代木村庄太郎
13th Shikimori Inosuke
基礎情報
行司名 木村喜太郎 → 木村喜多雄 → 初代木村善之輔 → 13代木村庄太郎
本名 もりやま きたお
 森山 喜多雄
生年月日 (1885-02-20) 1885年2月20日
没年月日 ?
出身 日本神奈川県横浜市
所属部屋 荒磯部屋春日野部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 三役格
初土俵 1903年5月
幕内格 1920年春場所
三役格 1941年春場所
引退 1959年11月
備考

木村庄太郎(13代)(きむら しょうたろう、1885年2月20日[1] - ? )は、大相撲の元三役行司。三役格としての在位期間は1941年1月~1959年11月。本名、森山喜多雄。

人物

横浜の呉服商に生まれ、長野県に移った[2]荒磯部屋から春日野部屋に所属した。26代式守伊之助27代式守伊之助29代式守伊之助の師匠格であった。当時としては遅い16歳ほど初土俵を踏んだ[2]。当初は木村喜太郎として、1903年5月番付行司欄に掲載されている。1913年春場所8日目に青白房(十両格)に昇格[3]。1915年春場所に喜多雄に改名、1919年春場所木村善之輔を襲名、1920年春場所幕内格に[3]した。1941年春場所三役格に昇進し、1947年6月には13代木村庄太郎を襲名。立行司への昇進は叶わず、定年制実施により、1959年11月場所限りで74歳で定年退職。なお、これは行司として最高齢であり現行の定年制が継続する限りこの記録は破られないものである。

在職中より大阪で料亭と相撲茶屋を経営していたが[4]、晩年の消息は不明。

略歴

  • 1903年夏場所 番付に木村喜太郎で掲載。
  • 1913年春場所 8日目より十両格に昇格。(番付では1913年夏場所)
  • 1920年春場所 幕内格に昇格。
  • 1941年春場所 三役格に昇格。
  • 1959年11月場所限り定年退職。

その他

関連項目

脚注

  1. ^ 過去の行司部屋”. web.archive.org (2003年12月8日). 2019年12月12日閲覧。
  2. ^ a b 『思い出いろいろ 話の団扇箱 最終回 私のあった忘れられない人々』 別冊NHKウイークリーステラ 大相撲特集 夏場所 1999年5月発行
  3. ^ a b 根間弘海「大正時代の番付と房の色」『専修経営学論集』第90号、専修大学経営学会、2010年3月、207-258頁、doi:10.34360/00005468ISSN 03864375NAID 120006793276 
  4. ^ 二十二代庄之助一代記〈第十九回〉”. www.syounosuke.net. 庄之助. 2023年12月1日閲覧。





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