朝原良道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 09:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動朝原 良道(あさはら の よしみち)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は宿禰。大学頭・朝原道永の孫で、左少史・朝原諸坂の子。官位は従五位下・豊前守。
経歴
左少史を経て、承和11年(844年)少外記、承和13年(846年)大外記と、仁明朝において文書作成を行う官職を歴任する。この間の承和15年(848年)外従五位下に叙せられ、嘉祥3年(850年)仁明天皇の葬儀にあたっては装束司を務めた。
仁寿4年(854年)内位の従五位下・播磨権介に叙任され地方官に転じる。文徳朝末の天安2年(858年)左京亮に任ぜられ京官に復すが、翌天安3年(859年)豊前守として再び地方官に戻っている。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:左少史[1]
- 承和11年(844年) 正月11日:少外記[1]
- 承和13年(846年) 2月10日:大外記[1]
- 時期不詳:正六位上
- 承和15年(848年) 正月7日:外従五位下
- 嘉祥3年(850年) 3月22日:装束司(仁明天皇葬儀)
- 仁寿4年(854年) 正月7日:従五位下(内位)。3月14日:播磨権介
- 天安2年(858年) 6月14日:左京亮。8月27日:山作司(文徳天皇葬儀)
- 天安3年(859年) 2月13日:豊前守
脚注
参考文献
- 朝原良道のページへのリンク