望月圭介との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:10 UTC 版)
広島出身の政治家・望月圭介が内務大臣として昭和天皇御大典護衛の大任を無事終えたことと御大典祝賀を目的として、望月圭介の胸像が建立される際、発起人として佐上信一、佐々木良一、名川侃市、渡辺伍、森田福市、大橋信吉、宮澤裕(宮澤喜一の父)、村井二郎吉、岸本斐夫、高宗侊一、嶋居哲、堀内廉一、中田謙二、細川潤一郎、宮本源之助、小山寛蔵、梅田寛一、久保田金四郎、木村寛一、木島茂、藤田好三郎らと共に宮地茂秋も名を連ねている。望月圭介が、最初の政党を自由党としたのは、板垣退助を尊敬したことによるもので、板垣の薨去後、毎年行われた追悼法会には必ず望月が世話人となっていた。また、昭和4年(1929年)日光東照宮の板垣退助像建立の時には、除幕式で望月圭介が式辞を述べている。
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