春陽堂 (飲食店)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 00:53 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 | ![]() 〒601-8329 京都府京都市南区吉祥院清水町2[1] |
設立 | 1950年1月[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | グループ会社に対しての食材供給、経営指導など[1] |
代表者 | 破産管財人 森本宏 [1] |
資本金 | 3億2200万円[1] |
従業員数 | 1人[1] |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 | ![]() 〒601-8329 京都府京都市南区吉祥院清水町2[1] |
設立 | 2004年10月[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 飲食店の経営[1] |
代表者 | 破産管財人 森本宏 [1] |
資本金 | 1000万円[1] |
従業員数 | 70人[1] |
株式会社春陽堂(しゅんようどう)は、かつて京都府京都市に本社を置き、飲食店などを手掛けていた日本の企業。
本稿では、事業会社であった株式会社茶月(ちゃげつ)についても記述する。
概要
1946年7月に創業し、1950年1月に法人へ改組[1]。中華レストランの「春陽堂」を中心に、持ち帰り・宅配寿司チェーンの「茶月」「百花撰」「神田一番寿司」「大名」回転寿司チェーン「海鮮大名」「廻転すし小町」、カレーハウス「スパイシー」、弁当・惣菜店の「旬菜楽市」、ピザ・パスタ料理店の「サンマルコ」、ファミリーレストランの「サンボーイ」などを運営し、総合外食チェーンの地位を確立していった[1][2]。特に「茶月」は地元では相応の知名度を有し、関西地区の他にも関東・東海地区にも進出していった[1]。
1992年3月期は約363億8300万円の売上があった[1][2]。しかしその後は、同業者との競争激化や消費者ニーズの変化に対応できなくなり、2004年10月以降は経営合理化や収益改善を目的に、株式会社茶月などを設立して会社分割により事業を移管することになった[1][2]。春陽堂本体はグループ会社への食材の供給や経営指導を行う業態に転換した[1][2]。
それでも売上減少には歯止めがかからず[1]、2008年10月にはグループ会社を茶月へ集約させるなどの経営的な混乱が続き[2]、2010年3月25日には農林水産省から、2010年3月~2013年2月までの計画で事業再構築計画の認定を受けた[2][3]。
しかし、店舗出店などに伴う借入金が重荷となり資金繰りが悪化[1]。このため春陽堂は、2012年3月期に茶月が手掛けていた回転寿司事業と弁当・惣菜事業から撤退したと同時に、カレー事業は株式会社スパイシークリエイトへ譲渡された[2]。同年10月には関東地方の直営60店舗、FC店27店舗を小僧寿しが設立した株式会社茶月東日本(2017年7月に東京小僧寿しへ吸収合併)へ譲渡したが、資金繰りは改善されないばかりか、給与の未払いが発生することになった[1][2]。
このため、労働債権約5億円を持つUAゼンセン春陽堂労働組合と従業員は2013年1月15日に、京都地方裁判所に対して、春陽堂と茶月の2社に対する第三者破産を申し立て、同日付で保全命令を受けた[4][5]。直営店は第三者破産申し立ての時点で休業していた[5]。同年1月25日に京都地方裁判所で行われた審尋の結果[4]、第三者破産の審理は大阪地方裁判所へ移行することになった[1]。
春陽堂と茶月の2社は、2013年2月8日に大阪地方裁判所から破産手続開始決定を受けた[1][2]。負債総額は春陽堂が49億3300万円、茶月が28億3100万円となっている。
店舗
茶月
1992年には日本全国に約600店舗を展開していた[6]。関東地方の店舗が茶月東日本へ譲渡された2012年10月以降は、関西地方のみの営業となっていた。一部店舗は阪神茶月(2017年8月にスパイシークリエイトへ吸収合併)へ譲渡され、茶月が運営していた一部店舗はスパイシークリエイト[7]によって運営されている。
サンマルコ
- 長岡京店[8]
スパイシー
かつて存在した店舗
サンマルコ
サンボーイ
スパイシー
- 幡ヶ谷店[25]
- 南阿佐谷店[26]
- 早稲田店[27]
- 桜木町店[28]
- 百万遍店[29]
- 円町店[30]
- 三条店[31]
- 近鉄MOMO店[32]
- 扇町店[33]
- 緑地公園店[34]
- 高槻店[35]
- 阪急茨木店[36]
- 西武八尾店[37]
- アルプラザ香里園店[38]
- 寝屋川店[39]
- JR住吉店[40]
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 倒産・動向記事 株式会社春陽堂など2社帝国データバンク 2013年2月12日
- ^ a b c d e f g h i 2013年(平成25年)2月度こうして倒産した…東京商工リサーチ
- ^ 農水省/春陽堂の事業再構築計画を認定流通ニュース 2010年3月26日
- ^ a b 宅配すし店「茶月」の春陽堂など債権者が破産申し立て日本経済新聞 2013年1月18日
- ^ “スーパーマーケット内のテイクアウト寿司 茶月(さつき平・長崎屋内)”. 日本食糧新聞・電子版. 2025年7月4日閲覧。
- ^ “株式会社 スパイシークリエイト”. 寿し CHAGETSU. 2023年3月6日閲覧。
- ^ 京都府長岡京市天神1丁目5−27。サンボーイ長岡天神店としてオープン、「廻転すし小町」長岡天神店を経て、サンマルコ長岡京店となった。
- ^ 大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目5-31アポロビル 地下2階
- ^ 兵庫県尼崎市塚口本町4丁目8-1グンゼタウンセンター つかしんひがしまち1階。西武つかしん店としてオープン
- ^ 京都府京都市左京区聖護院山王町43
- ^ 1971年11月、春陽堂四条店3階にオープン。サンマルコ1号店
- ^ 1972年7月オープン。大津市粟津町4-17
- ^ 1973年6月オープン。京都市上京区寺町通今出川上ル表町23
- ^ 1975年3月オープン。京都市中京区河原町三条上ル
- ^ 1976年3月オープン。豊中市庄内西町3-1-5(サンパティオ庄内)
- ^ 1976年6月オープン。滋賀県大津市におの浜2-3-1(西武大津ショッピングセンター)
- ^ 1979年3月オープン。京都市伏見区醍醐江奈志町10-14サンボーイ1号店
- ^ 1979年12月オープン。京都市西京区樫原井戸14-1
- ^ 1979年12月オープン。大津市本丸町36
- ^ 1980年3月オープン。京都市右京区上桂三ノ宮町50-3
- ^ 1980年4月オープン。長岡京市天神1丁目27。跡地はサンマルコ長岡京店[1]
- ^ 1980年4月オープン。宇治市宇治1番125-1
- ^ 1980年8月オープン。京都市右京区花園木辻南町2-3
- ^ 東京都渋谷区幡ヶ谷2-13-1
- ^ 東京都杉並区阿佐谷南1-15-6
- ^ 東京都新宿区馬場下町62-45
- ^ 横浜市中区花咲町1-48
- ^ 京都市左京区田中門前町72
- ^ 京都市中京区西ノ京円町8
- ^ 京都市中京区河原町通三条下ル大黒町54
- ^ 京都市伏見区桃山町山ノ下32
- ^ 大阪市北区天神橋4-6-23
- ^ 豊中市寺内2-4-1
- ^ 高槻市高槻町14-8
- ^ ⼤阪府茨⽊市永代町1番5号(ロサヴィアいばらき)
- ^ 八尾市光町2-60(西武八尾店)
- ^ 寝屋川市日新町5-5アルプラザ寝屋川
- ^ 寝屋川市緑町5-8(グリーンシティ寝屋川)
- ^ 2024年3月閉店[2]。神戸市東灘区住吉本町1
関連項目
- サンマルコからボンジョルノ - 「サンマルコ」名義でスポンサーとなっていた。
外部リンク
- 春陽堂_(飲食店)のページへのリンク