旭村 (神奈川県中郡)
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あさひむら 旭村 | |
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![]() 泡垂山山頂から下万田方面を望む(2017年) | |
廃止日 | 1954年7月15日 |
廃止理由 |
編入合併 旭村 → 平塚市 |
現在の自治体 | 平塚市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
![]() |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 中郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
平塚市 中郡大磯町、国府町、土沢村、金目村、大野町、金田村 |
旭村役場 | |
所在地 | 神奈川県中郡旭村大字河内 |
座標 | 北緯35度20分13秒 東経139度18分35秒 / 北緯35.3369度 東経139.3097度座標: 北緯35度20分13秒 東経139度18分35秒 / 北緯35.3369度 東経139.3097度 |
ウィキプロジェクト |
地理
中郡の南部、平塚市の北西に位置した[1]。相模平野の中央、花水川西岸の平野を占めた[1]。村内には河内川が流れる。
南に接する大磯町とは泡垂山などによって隔てられる。
歴史
1889年(明治22年)の町村制施行時、後の旭村域の北部に大住郡小中村、南部に淘綾郡山背村が成立した[2]。1896年には大住郡と淘綾郡が合併していずれも中郡の所属となった[3]。
1893年には両村の組合立で小中村大字公所に高等公所小学校を設置した[4]。1901年に両村の尋常小学校2校と高等公所小学校を統合して組合立の尋常高等小学校を設立し、名称を尋常高等旭小学校とした[4]。「旭」は両村合わせて九つの大字があることに、朝日や旭日昇天の意味を掛け合わせて名付けられた[4]。1909年(明治42年)に小中村と山背村が合併し、小学校名と同じ旭を村名とした[4]。
行政区画の変遷
産業
1937年時点では、村内はだいたい畑地であり、麦・甘藷・馬鈴薯・豆類等の産があった[1]。また養蚕が盛んに行われていた[1]。
脚注
- ^ a b c d e 沢田久雄 1937.
- ^ 平塚市企画室市史編さん室 1976, pp. 267–268, 822.
- ^ 「法律第十九號 神奈川縣下郡廢置」『官報』第3820号、内閣官報局、393頁、1896年3月27日 。
- ^ a b c d e 平塚市企画室市史編さん室 1976, p. 7.
- ^ 平塚市企画室市史編さん室 1976, pp. 8–9.
参考文献
- 沢田久雄 編『日本地名大辞典』 第一巻、日本書房、1937年10月26日、296頁。NDLJP:1116199/154。
- 平塚市企画室市史編さん室 編『平塚市郷土誌事典』平塚市役所、1976年4月26日。NDLJP:12156397。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 14巻《神奈川県》、角川書店、1984年6月。全国書誌番号:84038215。
関連項目
- 旭村_(神奈川県中郡)のページへのリンク