旧スイス連邦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 14:49 UTC 版)
「フォークト (称号)」の記事における「旧スイス連邦」の解説
神聖ローマ帝国の影響下にあった旧スイス連邦では、帝国代官(Reichsvogt、ライヒスフォークト)や上位代官(Obervögte、オーバーフェークト)、旗騎士(Venner、フェンナー)が統治する上位代官地(Obervogtei、オーバーフォークタイ)と、在地代官(Landvogt、ラントフォークト)が統治する在地代官地(Landvogtei、ラントフォークタイ)とがあった。 上位代官や旗騎士は、都市に居住し、都市の議会によって選出された。代官地には決められた日に訪れ、裁判や収税を任務とした。一方、代官地には下位代官(Untervögte、ウンターフェークト)と呼ばれる補佐官がいた。 在地代官の称号は1415年に初めて見られる。在地代官は、在地代官地(Landvogtei、ラントフォークタイ)を統治し、在地代官地の主権州を代表するか、あるいは代官地がいくつかの州にまたがる共同主権地(Gemeine Herrschaft、ゲマイネ・ヘアシャフト)の場合は、それを統治する立場にある連邦政府またはその下部組織の代理をしていた。在地代官は代官地に永久的に居住しており、多くは城(Landvogteischloss)に居住していた。共同主権地の場合は、共同主権を有する州が2年交代で在地代官を指名していた。 しかし中には例外的に、在地代官地の住民が在地代官を選ぶことが許される場合もあった。特にオーバーハスリは、ベルン州に従属する領域であったが、軍事同盟者としての特別な地位を認められていたため、在地代官を住民が選んでいた。在地代官制は、ヘルヴェティア共和国が建国された1798年に廃止された。
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