新池の築造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 09:41 UTC 版)
光元東伯氏は数年来ふたつの村益となるべきものを計画中であり、ひとつは岡山から津山に通じる一等県道である神目村から別所、下籾、中籾、上籾4ヶ村の坂道(現岡山県道375号上籾神目停車場線)を経由して、久米北条郡堺村字今宮に通じる一等里道を改修し、荷車運輸の便を図ろうとすること、もうひとつは、大きな溜め池を新築し、既存の田の干ばつの憂いをなくすことだけでなく、数町歩(数万平方メートル)の新田を開墾することであった。さて、折しもこのうちどちらを優先すべきか悩んでいるときに、昨年発布された町村制度について4ヶ村を合併しさらに龍山村と名付けようとする有志者が去る1月3日に中籾村赤木伝蔵氏方で、会員132人にて親睦会を開いた際、その席上において、東伯氏は「道路改修と溜め池新設のどちらを優先しようか」と談話したところ会員は「どちらも急務だが数多の収穫を得ることが必要だ」ということに話がまとまったので、溜め池の新築工事を立ち上げることとなった。ついては、東伯氏の所有地にして下籾村字舟木谷に数町歩の溜め池を築造できる場所もあるから、これから新たに起工するための願書をその筋へ提出することに確定した。(明治22年(1889年)1月26日)
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