敷島神社 (志木市)とは? わかりやすく解説

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敷島神社 (志木市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 09:20 UTC 版)

敷島神社

拝殿
所在地 埼玉県志木市本町2-9-40
位置 北緯35度49分59.5秒 東経139度34分55.7秒 / 北緯35.833194度 東経139.582139度 / 35.833194; 139.582139 (敷島神社 (志木市))座標: 北緯35度49分59.5秒 東経139度34分55.7秒 / 北緯35.833194度 東経139.582139度 / 35.833194; 139.582139 (敷島神社 (志木市))
主祭神 木花開耶姫大神
社格 村社
創建 明治5年(1872年
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敷島神社(しきしまじんじゃ)は、埼玉県志木市本町にある神社

歴史

1872年明治5年)に創建された。当地には元々「田子山の塚」と呼ばれるがあった。江戸時代後期、高須庄吉は夢の中で田子山の塚に登るようにと言われた。そこでこの塚に登ったところ、ある石碑を発見した。その石碑は南北朝時代富士山などの霊山を巡っていた「承海」というが造立した「逆修碑」と呼ばれる板碑であった。庄吉は富士信仰に篤かったこともあり、この塚を富士塚にすることを決意し、明治初期に造営工事に着手、1872年(明治5年)に完成し浅間神社を創建した[1]

新設の神社であり、歴史も浅かったことから、近代社格制度においては「無格社」であった。ところが1907年(明治40年)の神社合祀により、周辺の3社が合祀された。その3社のうち、2社が村社だったことから、当社も村社となり、「敷島神社」に改称した。祭神木花開耶姫大神であることから、国学の大家本居宣長を題材に詠んだ「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山ざくら花」より、新神社の名称を定めた[1]

文化財

  • 田子山富士塚関連石造物(志木市指定文化財 令和2年3月26日指定)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、532-535p
  2. ^ 田子山富士塚関連石造物志木市

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年



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