提婆達多の仏教と位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 08:35 UTC 版)
「提婆達多」の記事における「提婆達多の仏教と位置づけ」の解説
7世紀にインドを訪れた玄奘三蔵の『大唐西域記・巻十』には、提婆達多が生きながら地獄に堕していった穴がインドに残っていたこと、またベンガル地方では後期まで提婆達多派の教団が存在しており、三伽藍を要して乳酪を口にせず提婆達多の遺訓を遵奉し、過去七仏の中でも釈迦仏を除いた賢劫の三仏を信奉していた事などが記されている。また法顕三蔵も5世紀にネパール国境近くで提婆達多派の教団に遭遇したと報告している。
※この「提婆達多の仏教と位置づけ」の解説は、「提婆達多」の解説の一部です。
「提婆達多の仏教と位置づけ」を含む「提婆達多」の記事については、「提婆達多」の概要を参照ください。
- 提婆達多の仏教と位置づけのページへのリンク