掛川市立原谷小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 14:54 UTC 版)
| 掛川市立原谷小学校 | |
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| 北緯34度48分22.9秒 東経137度57分16.1秒 / 北緯34.806361度 東経137.954472度座標: 北緯34度48分22.9秒 東経137度57分16.1秒 / 北緯34.806361度 東経137.954472度 | |
| 過去の名称 | 瑞序舎、原谷尋常小学校、小笠郡原谷村尋常高等小学校、小笠郡原谷村国民学校、原谷村国民学校 | 
| 国公私立の別 | 公立学校 | 
| 設置者 | 掛川市 | 
| 併合学校 | 掛川市立原田小学校(2025年度から) | 
| 設立年月日 | 1889年(明治22年)9月21日 | 
| 開校記念日 | 9月21日 | 
| 共学・別学 | 男女共学 | 
| 学期 | 2学期(成績等)、3ステージ(各ステージの計画等)制 | 
| 学校コード | B122210002770 | 
| 所在地 | 〒436-0111 静岡県掛川市本郷561番地1 | 
| 外部リンク | 公式サイト | 
|  ウィキポータル 教育  ウィキプロジェクト 学校 | |
掛川市立原谷小学校(かけがわしりつはらやしょうがっこう)は、静岡県掛川市本郷に所在する市立小学校である。
概要
掛川市街地から北西約7kmの位置に所在する[1]。校地の脇を天竜浜名湖鉄道が通り、原谷駅が本校より徒歩2分の位置に所在する[1]。
歴史
本校ならびに掛川市立和田岡小学校の前身である瑞序舎は1873年(明治6年)5月開校の本郷学校、1875年(明治8年)8月開校の富部学校、1881年(明治14年)開校の吉岡学校の三校が1886年(明治19年)に合併したものである[2]。この学校は8つの村が連合で運営していたが、1889年(明治22年)9月20日に原谷尋常小学校と和田岡尋常小学校に分かれ、翌9月21日に原屋尋常小学校の名称に改められた[2]。同校ではこの9月21日を開校記念日としている[2]。
開校当初は本郷1296番地にあった寺院、法珠庵に設置されたが1890年(明治23年)に本郷1410番地に校地を取得し、移転している[1]。
1927年(昭和2年)4月1日に高等科を併設すると共に校名を小笠郡原谷村尋常高等小学校と改める[2][1]。太平洋戦争が始まり1941年(昭和16年)4月1日に国民学校令が施行されると同日原谷村国民学校に改名し、初等科、高等科を設置する[2][1]。終戦後の学制改革により1947年(昭和22年)4月1日に原谷中学校と分割され、原谷村立原谷小学校と改める[2]。
原谷村が掛川市と合併したことにより1957年(昭和32年)4月1日に掛川市立原谷小学校に改称する[2]。原谷小学校は1928年(昭和3年)の増築以降校舎の増築が行われていなかったが、1960年(昭和35年)に原谷中学校が原泉中学校、原田中学校と合併し原野谷中学校となったことで不要になった校舎2棟を1961年(昭和36年)に転用し、翌1962年(昭和37年)には給食室や旧中学校棟との渡り廊下を建設している[2][1]。
1972年(昭和47年)3月10日、現在の本郷561番地1に新築した鉄筋コンクリート造3階建ての校舎に移転する[2][1]。
掛川市は「掛川市学校再編計画」として原野谷中学校区に掛川市立原谷小学校と掛川市立原田小学校、掛川市立原野谷中学校を統合し、小中一貫校である原野谷学園の開校を目指しており[3][4]、その一環として2025年(令和7年)3月掛川市立原田小学校を閉校し、原谷小学校に併合した[4][5]。
進学先中学校
- 掛川市立原野谷中学校
脚注
- ^ a b c d e f g 『静岡県の学校』1987年。doi:10.11501/13325833。2025年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “沿革”. www.kakegawa-net.jp. 2025年10月15日閲覧。
- ^ “原野谷学園新たな学校づくり検討委員会”. 掛川市. 2025年10月15日閲覧。
- ^ a b “原野谷学園小中一貫校整備事業”. 掛川市. 2025年10月15日閲覧。
- ^ “「みんな仲良しだった」 掛川・原田小、149年の歴史に幕:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2025年10月15日閲覧。
外部リンク
- 掛川市立原谷小学校 - 公式サイト
- 掛川市立原谷小学校のページへのリンク

 
                             
                    



