持倉鉱山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 13:47 UTC 版)
| 持倉鉱山 | |
|---|---|
| 所在地 | |
| 所在地 | 東蒲原郡三川村 |
| 県 | 新潟県 |
| 国 | 日本 |
| 座標 | 北緯37度40分27秒 東経139度20分57秒 / 北緯37.67417度 東経139.34917度座標: 北緯37度40分27秒 東経139度20分57秒 / 北緯37.67417度 東経139.34917度 |
| 生産 | |
| 産出物 | 銅、亜鉛 |
| 歴史 | |
| 閉山 | 1920年 |
| プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
持倉鉱山(もちくらこうざん)は、新潟県東蒲原郡三川村にあった鉱山。江戸時代に会津藩によって採掘が始まり、明治後期には五泉の実業家・小出淳太によって本格的な銅山開発が行われた[1]。1919年(大正8年)には三井鉱山に買収されたが、翌1920年(大正9年)に閉山した[1]。最大の産銅量となった1917年(大正6年)には約700人が働いていた[2]。太平洋戦争後は蛍石の採掘も行われていた[1]。
2022年には持倉鉱山からみ煉瓦遺構として産業遺産に認定された[3]。
脚注
- ^ a b c “持倉鉱山史料展覧会を11月13日(日)まで開催中!@阿賀町郷土資料館”. 阿賀野川え~とこだプロジェクト事務局 (2016年11月3日). 2025年6月17日閲覧。
- ^ “持倉鉱山跡(新潟県阿賀町)、近代産業支えた精錬遺構”. 日本経済新聞. (2019年8月21日)
- ^ “新潟県阿賀町「持倉鉱山を新名所に」 産業遺産認定”. 日本経済新聞. (2022年7月14日)
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