技術指導
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:12 UTC 版)
一部の収容所では、捕虜の持つ技能を日本に移植することを目的に、捕虜を日本人の経営する事業所に派遣して指導をおこなわせた。名古屋俘虜収容所の捕虜の指導で製パン技術を学んだ半田の敷島製粉所は、これをもとに敷島製パンへと発展することとなった。1920年に敷島製粉所から敷島製パンが発足する際、元捕虜のハインリヒ・フロインドリーブを技師長として招聘している。また、板東俘虜収容所のあった鳴門市内には、捕虜から製法を学んで創業したパン店『ドイツ軒』が現在も営業している。明治屋は1922年に、元俘虜のバン・ホーテンやヘルマン・ウォルシュケを雇ってソーセージ製造を開始した。
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