成願寺 (名古屋市北区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 成願寺 (名古屋市北区)の意味・解説 

成願寺 (名古屋市北区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 09:39 UTC 版)

成願寺
所在地 名古屋市北区成願寺二丁目3番28号
位置 北緯35度12分53.6秒 東経136度54分58.7秒 / 北緯35.214889度 東経136.916306度 / 35.214889; 136.916306座標: 北緯35度12分53.6秒 東経136度54分58.7秒 / 北緯35.214889度 東経136.916306度 / 35.214889; 136.916306
山号 慈眼山
宗派 天台宗
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 (伝)天平17年(745年
開基 安食重頼
正式名 慈眼山 成願寺
文化財 木造十一面観世音菩薩立像(名古屋市有形文化財)
法人番号 6180005001524
テンプレートを表示

成願寺(じょうがんじ)は、愛知県名古屋市北区成願寺二丁目にある天台宗の寺院。

2007年当時の成願寺

概要

寺伝によれば天平17年(745年)の創建とされ[WEB 1]、開基は行基であるという[1]。当寺はこの地を支配していた安食・山田一族の菩提寺であり、旧寺号の「常観寺」は安食重頼の法号(常観坊隆憲)にちなむもので[2]、中興の祖山田重忠が再建した際に現在の寺号に変更したものである[1]。したがって、実質的な開基は安食重頼とみられる[3][4]

本尊の木造十一面観世音菩薩立像(名古屋市有形文化財[WEB 2])は行基作の寺伝を有するが[1]、様式技法からみて、実際の制作は平安前期から平安中期とみられるという[5]

織田信長の家臣として取り上げられた太田牛一は、当寺で育ち、後に還俗したと伝わっている[6][注釈 1]

天野信景著『塩尻』では、「かつては中切福徳・小田井等の寺院は当寺の坊舎であったと伝えられているが、今は貧民のすみかとなっている」[2]、「聖徳寺や中切村乗円寺などは、当寺の支院だったが、今は立場が逆転している」[7]などと、かつての繁栄ぶりとその後の凋落ぶりを伝えている。

1933年昭和8年)、矢田川の改修工事に伴って現在地に移転。元の境内は矢田川の敷地となっている[1]

2009年平成21年)、中興開山800年を記念して本堂を改築が完了した[WEB 3]。設計は石橋徳川建築設計所の石橋利彦と紀州徳川家第19代当主徳川宜子が行った[8]

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 角川書店、1989年、686頁では、出典を尾張名所図会としている。

出典

WEB

文献

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「成願寺 (名古屋市北区)」の関連用語

成願寺 (名古屋市北区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



成願寺 (名古屋市北区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの成願寺 (名古屋市北区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS