塩尻 (随筆)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/26 02:47 UTC 版)
塩尻/鹽尻(しおじり)は、江戸時代の随筆。著者は尾張藩士の天野信景で、現在の通行本は門人の紀方旧(紀は本姓、堀田六林/堀田恒山ともいう[1])が考訂した百巻本で、もとは1千巻近くあったというが多くは散逸した[2]。
内容
元禄10年(1697年)頃から享保18年(1733年)までに執筆されたもので、現存は170巻余[3]。
書名の「塩尻(鹽尻)」は、本居宣長によれば『伊勢物語』の一節の「しほじり」からとったもので、壺塩の尻が富士山に似ていることをさしていて、知識を砂のように積み上げていって富士山のように高く積み上がった様子を意味しているらしい[4]。
著者の天野は博学の国学者として知られ、その合理主義的な学風は、吉見幸和ら当代の尾張(愛知県)の学者や文人はもちろん、平田篤胤らにも大きく影響した[3]。
本書は有職故実を中心に広範囲な分野にわたる和漢の典籍や自己の見聞を抄録し[3]、著者が諸書から記事を抜粋して自身の意見を記すもので、歴史、伝記、地誌、言語、文学、制度、宗教、芸能、自然、教育、風俗など広範囲にわたっており、挿絵もある[2]。天明2年 (1782年)に門人の堀田方旧(紀方旧/堀田六林/堀田恒山)が編纂し[5]、考訂本は『日本随筆大成』(下掲)に収録[2]。
書誌情報
- 『日本随筆大成 第3期 13〜18』(1977〜1978年 吉川弘文館)
- 日本随筆大成編輯部 編「国立国会図書館デジタルコレクション 上巻」『日本随筆大成 第3期』 9巻、日本随筆大成刊行会、1930年、1-857頁 。
- 日本随筆大成編輯部 編「国立国会図書館デジタルコレクション 上巻」『日本随筆大成 第3期』 10巻、日本随筆大成刊行会、1930年、1-743頁 。
脚注
参考文献
- 青木辰治「国立国会図書館デジタルコレクション 天野信景とその著鹽尻」『国語教育 18(8)』育英書院、1933年、53-59頁 。
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